金光寺の歴史

大谷本願寺前大 僧正琢如 親鸞聖人御 影 (寛) 文十年庚戌林鐘中ロロ 河州石川郡喜志荘川面村 惣道場金光寺常住物也 とある。

(同寺に蔵する親鸞画像の裏書きより)

東本願寺の末寺である。 寛文一〇年(一六七〇)六月、 東本願寺一四世の如から川面村の「惣 道場」である金光寺に下付されたことが明らかで、近世初期から真宗寺院として確立していたことが証明されてます。また、琢は東本願寺にあっては、大谷祖廟(現在の東大谷墓地)の建設、学寮の創設など、大きな実績を残した法主である。

金光寺